梅津時比古氏講演会のお知らせ[2013年11月14日]

文学部ドイツ語ドイツ文学コースでは、桐朋学園大学学長・エッセイスト、梅津時比古氏の講演会を下記の要領で開催いたします。ぜひお運びください。


梅津時比古氏講演会
「共通語としての音楽」
 日時: 11月14日(木)18:15 より
 場所: 戸山キャンパス(文学学術院)36号館582教室

参加申し込み・入場料:不要

主催・問い合わせ先: 文学部ドイツ語ドイツ文学コース

神が書いた曲

神が書いた曲

〈セロ弾きのゴーシュ〉の音楽論―音楽近代主義を超えて

〈セロ弾きのゴーシュ〉の音楽論―音楽近代主義を超えて

(文責:助手)

修士論文構想発表会【2010年10月30日(水)】

当コース所属の修士課程学生2名による修士論文構想発表会を、下記の要領にて開催いたします。

ぜひお集まりください。


日時: 2013年10月30日(水曜日) 17時から(あわせて2時間程度)

場所: 早稲田大学戸山キャンパス 33号館 第8会議室(8階)


発表者と発表題目(仮)

・ ドイツ語におけるフランス語由来の借用語研究
  報告者: 前原 早百合

・ アドルフ・ムシュク『兎の夏』におけるメディア論的解釈
  報告者: 中村 文恵


お問い合わせ先:
早稲田大学文学研究科ドイツ語ドイツ文学コース室

(文責 助手)

博士論文構想発表会【2010年10月16日(水)】

当コース所属の博士後期課程学生2名による博士論文構想発表会を、下記の要領にて開催いたします。
ぜひお集まりください。


日時: 2013年10月16日(水曜日) 17時から(あわせて2時間程度)

場所: 早稲田大学戸山キャンパス 33号館 第8会議室(8階)


発表者と発表題目(仮)

・ ハンス・ヘニー・ヤーン作品における「血」のモチーフ
  発表者: 北村優太(博士後期課程3年)

・ 役人カフカ ―『役所文書』から試みる『判決』読解―
  発表者: 横山直生(博士後期課程2年)

Werke 3. Fluss ohne Ufer I. Das Holzschiff / Die Niederschrift des Gustav Anias Horn I: Roman in 3 Teilen

Werke 3. Fluss ohne Ufer I. Das Holzschiff / Die Niederschrift des Gustav Anias Horn I: Roman in 3 Teilen

Amtliche Schriften. Kritische Ausgabe: inkl. CD-ROM und Lesebaendchen

Amtliche Schriften. Kritische Ausgabe: inkl. CD-ROM und Lesebaendchen

お問い合わせ先:
早稲田大学文学研究科ドイツ語ドイツ文学コース室

早稲田ドイツ語学・文学会第21回研究発表会のお知らせ

早稲田ドイツ語学・文学会第21回研究発表会を下記の要領で開催いたします。
皆様のご来場をこころよりお待ちしております。

開催日時:2013年9月21日(土) 12:00〜

開催場所:早稲田大学戸山キャンパス 第5会議室(39号館)


第一部(12:00-14:40)

1 田邉恵子(早大院生):ヴァルター・ベンヤミン『ベルリン年代記』における「わたし」の役割
 「手紙を除いて“わたし”という言葉を決して使わない」という規則を長年にわたって自らに課していたベンヤミンは、この規則にあえて背き、1932年に自伝的回想録『ベルリン年代記』を一人称形式で書いている。ただし、主語「わたし」を用いることをベンヤミン自身が「策略」と呼んでいるために、ベンヤミンと文中の「わたし」を単純に同一視するわけにはいかない。「回想とは、本質的にはかつてあったものへの無限の書き込みである」という一節からもうかがえるように、作者ベンヤミンは、「物語る」手法を用いることによって、過去をありのままに描写するのではなく、逆に、かつての自身を演出し、反省することを目指しているのだ。
 本発表では、「自らを語ること」の諸問題について述べているカール・ハインツ・ボーラーやポール・ド・マンらの言説を参照しつつ、長らく「自伝的作品」として、もしくは回想録の完成形とされる『1900年頃のベルリンの幼年時代』の習作として参照されるのみであったこの『ベルリン年代記』が、一般的に言われる記録としての「自伝」とは質を全く異にするものであることを、明らかにしたい。

Berliner Chronik.

Berliner Chronik.


2 舟本正太郎(早大院生): フランス語―ドイツ語翻訳からみる両言語の時制システム
 「時制」は時間を示す文法範疇である。さらにÉmile Benveniste、Harald Weinrichの理論によれば、一部の言語の時制はテクスト内において著者の態度の表明や前景と背景の区別を示す機能をもっている。フランス語のようなロマンス諸語は時制のこれらの機能を非常によく発展させており、またWeinrichによればドイツ語においても動詞の位置や形式との組み合わせでこのような機能を示すことができる。しかしゲルマン語派の言語であるドイツ語の時制システムはフランス語のそれとは異なっている。フランス語において時制を用いて表現されたこれらの機能はドイツ語に翻訳された際どのように反映されるのか。この点をフランス語からドイツ語に翻訳された作品を用いて観察を行う。
 一時資料としてAntoine de Saint-Exupéryの»Le Petit Prince«とそのドイツ語訳である»Der Kleine Prinz«を使用する。今回はGrete & Josef Leitgebによる翻訳とElisabeth Edlによる翻訳を用意し、2種類の翻訳の間での比較も行いながら、フランス語の時制システムがドイツ語への翻訳の際どのように反映されているのかを観察することが本発表の目的である。
 さらに標準ドイツ語とは異なった時制システムをもつドイツ語の方言への翻訳においてはどのような違いが現れるのかという点についても分析する。

Le Petit Prince

Le Petit Prince

Der Kleine Prinz (German) (Harvest Book)

Der Kleine Prinz (German) (Harvest Book)


3 前川一貴(早大院生):ニーチェと「生理学」――「身体」とは何か
 ニーチェが19世紀の生理学書を相当数読んでいたことは、彼の図書館の貸し出し記録や蔵書から確認できる。だが彼のテクストにおける「生理学」という言葉を自然科学の一分野として文字通り捉えることには、否定的な見方が多い。ハイデガーによれば、ニーチェにおける「身体」とは脳や感覚器官のことではなく、それらの器官は人間の経験世界におけるさまざまな存在者のひとつに過ぎない。つまり、ニーチェのいう「身体」とはこの経験世界全体を生み出している形而上学的根源を表しているのであり、「生理学」とはそのような根源について思索する哲学的アプローチを示しているというのだ。
 しかし、もしニーチェが心の働きと脳や感覚器官の働きの関係について論じる心身問題に関心を持っていたとしたら、どうだろうか。本発表では、このような視点から彼の「生理学」という概念を新たに解釈する。ニーチェ科学書を読み進めていくなかで、心の働きと脳の働きは相互に影響し合うことなく、同時に発生しているという平行説について知る。さらに彼はこの見解を応用して、脳ほど高次ではないが、ほかの器官や細胞にも中次・低次の心の働きがあると捉えている。このような「身体」観にもとづいて、ニーチェが当時の脳科学や細胞学の知見を踏まえつつ、人間の心の働きについて総合的に思索していたことを明らかにしたい。

ニーチェ全集〈5〉人間的、あまりに人間的 1 (ちくま学芸文庫)

ニーチェ全集〈5〉人間的、あまりに人間的 1 (ちくま学芸文庫)


4 金志成(早大院生):ウーヴェ・ヨーンゾン『ヤーコプについての推測』における公的領域と私的領域
 ウーヴェ・ヨーンゾンのデビュー作である長篇小説『ヤーコプについての推測』(1959)の物語は、「国家が個人に対して申請や提案を行い――そしてその個人がすぐさま困難な状況や葛藤に陥る」(マルセル・ライヒラニツキ)ことによって、すなわち、政治的なものが非政治的な領域に、あるいは公的なものが私的な領域に侵入する瞬間に始まるのであるが、両者の緊張関係――これが本作の〈内容上の主題〉であることは改めて言うまでもない――は小説の〈語りの形式〉にどのようなかたちで現れており、さらには題材上どうしても政治的な領域が大きな比率を占めることになる本作のテクスト空間にあって、非政治的領域といういわば〈空き地〉(Lichtung)はどのように出来するのか。この問いを検討するにあたって本発表は、政治的にはNATOのヘッドクウォーターに務める通訳として作品世界における西側の見解を代表する一方で、ヤーコプの恋人という私的な一面も持ち、それゆえその語りにはこれら二つの領域が混在しているはずであるところの、主要登場人物のひとりであるゲジーネ・クレスパールに焦点を定め、物語の転換点ごとにおける彼女のモノローグをいくつか引用し、その語りの形式の変遷を、主に〈対話性〉、〈他者性〉、〈恋愛のディスクール〉、〈故郷〉といった観点から、ハンナ・アーレントが『人間の条件』において行った公的領域と私的領域の区分を参照しつつ、分析する。

新しい世界の文学〈第27〉ヤーコプについての推測 (1965年)

新しい世界の文学〈第27〉ヤーコプについての推測 (1965年)

Mutmassungen uber Jakob

Mutmassungen uber Jakob

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

人間の条件 (ちくま学芸文庫)



第二部(15:40-17:30)

5 岡山具隆(早大専任講師):文学による主観的歴史の語り――ギュンター・グラスの『グリムのことば』
 『グリムのことば』(2010)は『玉ねぎの皮をむきながら』(2006)、『箱型カメラ』(2008)に続くグラスの自伝的小説の三作目にあたる。今回は60年代から70年代にかけてのグラス自身の政治活動が中心におかれている。しかし、この小説は同時にグリム兄弟についての伝記的側面、また、グリム兄弟によるドイツ語辞書編纂の歴史についての記録という側面も併せもっており、この三者を相互に結び付けているのが国民国家としてのドイツの歩みである。ドイツの国民国家の歩みをめぐる物語はしかし時系列に沿って語られるわけではない。小説は9章からなり、各章はアルファベート一文字をタイトルとし、その文字で始まる単語をもとに、語り手が想起するドイツの過去にかかわるエピソードを断片的につなぎ合わせていく形をとるなど、語りに様々な工夫を施しながら公式の歴史記述とは異なる歴史の語りのあり方を模索する文学作品となっている。本発表においては、過去と現在をつなげる「メルヒェンの森」としてのベルリンのティアガルテン、散歩のモチーフ、間テクスト性といった特徴にも注目しながら、グラス特有の語りのあり方を中心に『グリムのことば』を公式の歴史に対する主観的歴史の語りの試みとして読み解いていく。

Grimms Worter

Grimms Worter

玉ねぎの皮をむきながら

玉ねぎの皮をむきながら

箱型カメラ

箱型カメラ


6 Arne Klawitter (Universität Waseda): Vom Allgemeinen zum Auserlesenen. Die Lemgoer Auserlesene Bibliothek der neuesten deutschen Litteratur (1772-1781) als „gefährliche Nebenbuhlerin“ der Allgemeinen Deutschen Bibliothek
Die vom Berliner Aufklärer Friedrich Nicolai herausgegebene und von ihm über 40 Jahre lang verlegte Allgemeine Deutsche Bibliothek war zweifellos eine der wichtigsten kritischen Zeitschriften des 18. Jahrhunderts überhaupt. In insgesamt 256 Einzelbänden wurden über 60 000 Veröffentlichungen besprochen, für die über 400 Mitarbeiter kritische Beiträge lieferten, unter ihnen so bekannte Namen wie Herder, Kästner, Mendelssohn und Merck. Doch gab es von Anfang an auch immer wieder Konkurrenzunternehmen wie z.B. die Bibliothek der schönen Wissenschaften und der freyen Künste, das Magazin der deutschen Critik, welches die Nachfolge der Klotzschen Deutschen Bibliothek antrat, und den Teutschen Merkur. Schließlich artete das Zeitschriftenwesen dermaßen aus, dass die gelehrten Anzeigen und Literaturjournale den Büchermarkt regelrecht überschwemmten.
Mit einem ernst zu nehmenden Gegenkonzept trat 1772 die Auserlesene Bibliothek der neuesten deutschen Litteratur, auch kurz „Lemgoer Bibliothek“ genannt, gegen dieses Überangebot an und wurde eine Zeit lang durchaus als eine „gefährliche Nebenbuhlerin“ der Allgemeinen Deutschen Bibliothek angesehen. Die Herausgeber der Zeitschrift verfolgten anders als diese aber nicht das Ziel, möglichst die gesamte Buchproduktion des deutschsprachigen Raumes zu besprechen, sondern forderten eine strikte Auswahl. Über ihre Mitarbeiter ist bislang nur wenig bekannt, da die einzelnen Beiträge nicht mit den Namen der Verfasser, sondern mit Siglen unterzeichnet sind, und da die Autoren unbekannt blieben, wurde die Zeitschrift nach ihrer Einstellung 1781 schnell wieder vergessen.
In meinem Vortrag werde ich ein Gutteil der Siglen entschlüsseln und die Verfasser nennen und vorstellen. Dabei wird sich zeigen, dass die Initiatoren zum Teil sogenannte „Freigeister“ waren, die das Rezensionsorgan als Sprachrohr für ihre neuen ästhetischen und poetologischen Vorstellungen zu nutzen wussten. Es handelt sich um einen Kreis junger Dichter und Gelehrter, die in Hinblick auf ihre Ansichten durchaus mit den Stürmern & Drängern oder mit dem Göttinger Hainbund verglichen werden können. Aber unvermutet finden sich auch bekannte Namen unter den Mitarbeitern. Bedingt dadurch erscheint die heute zu Unrecht vergessene Auserlesene Bibliothek in einem völlig neuen Licht und gewinnt erheblich an literaturhistorischem Gewicht.

Auserlesene Bibliothek Der Neuesten Deutschen Litteratur, Volume 3

Auserlesene Bibliothek Der Neuesten Deutschen Litteratur, Volume 3

Allgemeine Deutsche Bibliothek

Allgemeine Deutsche Bibliothek



第三部 招待講演(17:30-19:00)

Moritz Baßler (Universität Münster): Realismus – Serialität –Phantastik. Eine Standortbestimmung gegenwärtiger Epik

(文責:助手)

【2013年度合宿報告】番外編

・飲み会

学生の個人発表が終ると、そのまま教室を使って合宿のメインイベントである飲み会が行われた。2年生が早くなじめるようにと今年の独文合宿は4月末と早めの実施で、みな酒を酌み交わしながら積極的に交流しているようだった。

各々が独文に進んだ理由やドイツへの関心、留学体験などを交えた自己紹介の時間も設けらた。この飲み会で普段あまり聞く機会のない個々の関心分野などを知ることができ、非常にいい機会となった。

ドイツ文学コースの学生は興味関心がバラバラで、我が道を行く者ばかり。今までドイツに全く興味がなかった学生から、留学を志す者まで。研究分野も文学、哲学、映画、音楽、美術など学生の色は様々だ。しかし、いざ集まって話してみると、「なんだ、この人はこんなに知識があって活動的だったのか!」と驚くこともしばしばだった。今回の合宿を通して、主に学生からは「ドイツ語をもっとがんばろうと思った。」という声が聞こえ、院生の方も「大学生と話して刺激をもらった。」とおっしゃられていた。先生方も、学年の垣根を越えて一同に集まる独文合宿の飲み会を、存分に楽しまれているようだった。

軽井沢は先日の雪がまだ残り肌寒かったが、部屋のストーブが切れても酒の熱で歓談は途切れることなく、飲み会は2日間ともに午前3時まで続いた。腕がちぎれそうな思いをしてオーストリアビールの「Gässer」(ゲッサー)をゼミ室まで運び、こんなに大量の酒を飲み干せるのかとも思ったが、杞憂であった。来年はもっと豪勢な宴会が開催されるかもしれない。

(文責 2年 宮田)

【2013年度合宿報告】3日目

・大久保先生講義「前衛(アバンギャルド)という概念について」

大久保先生の講義では、前衛(アバンギャルド)芸術の中に印象派は含まれるのか、という点を中心に、前衛という概念について論じられました。
印象派は前衛芸術には含まれないというのが定説ですが、「今ではフランス古典の代表のように思われている印象派というのが、出てきた当初は圧倒的多数に酷評され批判される、フランス絵画の革命以外の何ものでもない、前衛的なものだった」とする本の引用を交えつつ、その定説に疑問を呈されていました。
また、前衛という言葉が本来は軍事用語で、軍隊において本隊に先んじて戦地に赴く先見部隊であり、それが比喩的に使われるようになったことにも触れられていました。
普段いろいろな分野で「前衛的な」という表現を耳にしますが、その意味をもう一度考え直すことができました。


・シャイフェレ先生講義「Paul Boldtの詩について」

シャイフェレ先生の講義では、Paul Boldtの詩について論じられました。背景として20世紀初頭のベルリンの表現主義運動が社会、政治と結びついていたことが述べられ、ボルトの5つの詩の中にも売春婦(市民社会の犠牲者のイメージ)のモチーフが用いられているとの指摘がありました。講義の中では5つの詩「ABENDAVENUE」「FRIEDRICHSTRASSENDIRNEN」「LINDEN」「BADENDE MÄDCHEN」「ERWACHSENE MÄDCHEN」が取り上げられ、ソネットという非常に難しい、厳密な形式をとりつつ下品な言葉を使っている点、人を物に例える比喩が見られる点、教養を必要とするような神話的、歴史的モチーフなどが用いられていない点、「黄金の静けさ」「緋色の微笑み」などといった、色を使った大胆な形容、などの特徴が指摘されていました。

シャイフェレ先生は昨年度に退職されていますが、わざわざ合宿にお越し下さり、講義をしてくださいました。本当にありがとうございました!

(文責 3年 中村)


印象派という革命

印象派という革命

【2013年度合宿報告】2日目―午後

・3年生発表

昼の自由時間を思い思いに過ごした2日目の夜は、3年生による発表が行われました。
発表者は安藤さんと中村さんのふたりです。


○『神の剣』に描かれた芸術

安藤さんの発表はトーマス・マンの『神の剣』が題材で、その中でも話の中心である「マドンナの絵」に注目したものでした。

書き出しの“ミュンヘンは輝いていた”という言葉は書かれた当時のミュンヘンで栄えたユーゲントシュティールと呼ばれる芸術様式を指しており、官能的と称されるマドンナの絵と「無邪気なまでに耽美的」だか「ときには通俗的」と言われるユーゲントシュティールの特徴は合致します。

また、登場人物のモデルとなったと考えられる人物の時代の絵と作中に登場するマドンナの絵(と思われるもの?)が挙げられ、それぞれの時代の女性像が比較されました。

発表ではユーゲントシュティールのユーゲント=青春という言葉から、現代の老人の扱われ方(本当に今の時代は“老人を大事にしている”か?など)といった話も先生方から挙がり、いろいろな方向へ話の広がる発表でした。
安藤さんは体調を崩してこの日の午後から合宿に参加、ということで、本当にお疲れさまでした…!


○マルレーン・ハウスホーファー 『壁』について

ある日突然あらわれた謎の“壁”によって世界と隔絶された女性が数年過ごした自給自足の生活を回想しながら書き記す、というスタイルで書かれたハウスホーファーの『壁』は、発表中に様々な疑問を生み出す内容でした。

“壁”に対する女性の反応や“壁”の向こう側にある死の奇妙さなど疑問を感じる部分は尽きず、この話がどういったものであるかをぼやけさせているようで、まとめに挙げられたこの話のいくつもの読み方はどれもが正しいように思わされます。

女性が書き連ねる回想には“壁”があらわれる以前のことも記されており、その中には社会生活から感じる圧迫の息苦しさが見て取れます。

また、女性の成長した娘たちへの不快感と一緒に暮らし始めた動物たちへの愛情は、女性が一方通行の愛情しか持てないことをあらわしているようでもあり、この“壁”の中の生活という特異な状況を用いて著者が現代社会に感じることを滲ませているようでもあります。

最後に中村さんが引用した部分では、意味を見出すことの無意味さとそれでも見出さずにはいられない人間の性(さが)が書かれていますが、まさに意味を見出さずにはいられない物語だと思いました。

長編小説をわかりやすくまとめ上げた発表で興味深かったです。中村さんもお疲れさまでした!


発表のあとは恒例の飲み会で、2日連続みなさんそれぞれに楽しまれたようです。
私も楽しく過ごせました。
本当に発表したお二人は本当にお疲れさまでした。

(文責 3年 野本)

トオマス・マン短篇集 (岩波文庫 赤 433-4)

トオマス・マン短篇集 (岩波文庫 赤 433-4)

Der kleine Herr Friedemann. Gladius Dei. Zwei Erzaehlungen.

Der kleine Herr Friedemann. Gladius Dei. Zwei Erzaehlungen.

壁

Die Wand

Die Wand