早稲田ドイツ語学・文学会第21回研究発表会のお知らせ

早稲田ドイツ語学・文学会第21回研究発表会を下記の要領で開催いたします。
皆様のご来場をこころよりお待ちしております。

開催日時:2013年9月21日(土) 12:00〜

開催場所:早稲田大学戸山キャンパス 第5会議室(39号館)


第一部(12:00-14:40)

1 田邉恵子(早大院生):ヴァルター・ベンヤミン『ベルリン年代記』における「わたし」の役割
 「手紙を除いて“わたし”という言葉を決して使わない」という規則を長年にわたって自らに課していたベンヤミンは、この規則にあえて背き、1932年に自伝的回想録『ベルリン年代記』を一人称形式で書いている。ただし、主語「わたし」を用いることをベンヤミン自身が「策略」と呼んでいるために、ベンヤミンと文中の「わたし」を単純に同一視するわけにはいかない。「回想とは、本質的にはかつてあったものへの無限の書き込みである」という一節からもうかがえるように、作者ベンヤミンは、「物語る」手法を用いることによって、過去をありのままに描写するのではなく、逆に、かつての自身を演出し、反省することを目指しているのだ。
 本発表では、「自らを語ること」の諸問題について述べているカール・ハインツ・ボーラーやポール・ド・マンらの言説を参照しつつ、長らく「自伝的作品」として、もしくは回想録の完成形とされる『1900年頃のベルリンの幼年時代』の習作として参照されるのみであったこの『ベルリン年代記』が、一般的に言われる記録としての「自伝」とは質を全く異にするものであることを、明らかにしたい。

Berliner Chronik.

Berliner Chronik.


2 舟本正太郎(早大院生): フランス語―ドイツ語翻訳からみる両言語の時制システム
 「時制」は時間を示す文法範疇である。さらにÉmile Benveniste、Harald Weinrichの理論によれば、一部の言語の時制はテクスト内において著者の態度の表明や前景と背景の区別を示す機能をもっている。フランス語のようなロマンス諸語は時制のこれらの機能を非常によく発展させており、またWeinrichによればドイツ語においても動詞の位置や形式との組み合わせでこのような機能を示すことができる。しかしゲルマン語派の言語であるドイツ語の時制システムはフランス語のそれとは異なっている。フランス語において時制を用いて表現されたこれらの機能はドイツ語に翻訳された際どのように反映されるのか。この点をフランス語からドイツ語に翻訳された作品を用いて観察を行う。
 一時資料としてAntoine de Saint-Exupéryの»Le Petit Prince«とそのドイツ語訳である»Der Kleine Prinz«を使用する。今回はGrete & Josef Leitgebによる翻訳とElisabeth Edlによる翻訳を用意し、2種類の翻訳の間での比較も行いながら、フランス語の時制システムがドイツ語への翻訳の際どのように反映されているのかを観察することが本発表の目的である。
 さらに標準ドイツ語とは異なった時制システムをもつドイツ語の方言への翻訳においてはどのような違いが現れるのかという点についても分析する。

Le Petit Prince

Le Petit Prince

Der Kleine Prinz (German) (Harvest Book)

Der Kleine Prinz (German) (Harvest Book)


3 前川一貴(早大院生):ニーチェと「生理学」――「身体」とは何か
 ニーチェが19世紀の生理学書を相当数読んでいたことは、彼の図書館の貸し出し記録や蔵書から確認できる。だが彼のテクストにおける「生理学」という言葉を自然科学の一分野として文字通り捉えることには、否定的な見方が多い。ハイデガーによれば、ニーチェにおける「身体」とは脳や感覚器官のことではなく、それらの器官は人間の経験世界におけるさまざまな存在者のひとつに過ぎない。つまり、ニーチェのいう「身体」とはこの経験世界全体を生み出している形而上学的根源を表しているのであり、「生理学」とはそのような根源について思索する哲学的アプローチを示しているというのだ。
 しかし、もしニーチェが心の働きと脳や感覚器官の働きの関係について論じる心身問題に関心を持っていたとしたら、どうだろうか。本発表では、このような視点から彼の「生理学」という概念を新たに解釈する。ニーチェ科学書を読み進めていくなかで、心の働きと脳の働きは相互に影響し合うことなく、同時に発生しているという平行説について知る。さらに彼はこの見解を応用して、脳ほど高次ではないが、ほかの器官や細胞にも中次・低次の心の働きがあると捉えている。このような「身体」観にもとづいて、ニーチェが当時の脳科学や細胞学の知見を踏まえつつ、人間の心の働きについて総合的に思索していたことを明らかにしたい。

ニーチェ全集〈5〉人間的、あまりに人間的 1 (ちくま学芸文庫)

ニーチェ全集〈5〉人間的、あまりに人間的 1 (ちくま学芸文庫)


4 金志成(早大院生):ウーヴェ・ヨーンゾン『ヤーコプについての推測』における公的領域と私的領域
 ウーヴェ・ヨーンゾンのデビュー作である長篇小説『ヤーコプについての推測』(1959)の物語は、「国家が個人に対して申請や提案を行い――そしてその個人がすぐさま困難な状況や葛藤に陥る」(マルセル・ライヒラニツキ)ことによって、すなわち、政治的なものが非政治的な領域に、あるいは公的なものが私的な領域に侵入する瞬間に始まるのであるが、両者の緊張関係――これが本作の〈内容上の主題〉であることは改めて言うまでもない――は小説の〈語りの形式〉にどのようなかたちで現れており、さらには題材上どうしても政治的な領域が大きな比率を占めることになる本作のテクスト空間にあって、非政治的領域といういわば〈空き地〉(Lichtung)はどのように出来するのか。この問いを検討するにあたって本発表は、政治的にはNATOのヘッドクウォーターに務める通訳として作品世界における西側の見解を代表する一方で、ヤーコプの恋人という私的な一面も持ち、それゆえその語りにはこれら二つの領域が混在しているはずであるところの、主要登場人物のひとりであるゲジーネ・クレスパールに焦点を定め、物語の転換点ごとにおける彼女のモノローグをいくつか引用し、その語りの形式の変遷を、主に〈対話性〉、〈他者性〉、〈恋愛のディスクール〉、〈故郷〉といった観点から、ハンナ・アーレントが『人間の条件』において行った公的領域と私的領域の区分を参照しつつ、分析する。

新しい世界の文学〈第27〉ヤーコプについての推測 (1965年)

新しい世界の文学〈第27〉ヤーコプについての推測 (1965年)

Mutmassungen uber Jakob

Mutmassungen uber Jakob

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

人間の条件 (ちくま学芸文庫)



第二部(15:40-17:30)

5 岡山具隆(早大専任講師):文学による主観的歴史の語り――ギュンター・グラスの『グリムのことば』
 『グリムのことば』(2010)は『玉ねぎの皮をむきながら』(2006)、『箱型カメラ』(2008)に続くグラスの自伝的小説の三作目にあたる。今回は60年代から70年代にかけてのグラス自身の政治活動が中心におかれている。しかし、この小説は同時にグリム兄弟についての伝記的側面、また、グリム兄弟によるドイツ語辞書編纂の歴史についての記録という側面も併せもっており、この三者を相互に結び付けているのが国民国家としてのドイツの歩みである。ドイツの国民国家の歩みをめぐる物語はしかし時系列に沿って語られるわけではない。小説は9章からなり、各章はアルファベート一文字をタイトルとし、その文字で始まる単語をもとに、語り手が想起するドイツの過去にかかわるエピソードを断片的につなぎ合わせていく形をとるなど、語りに様々な工夫を施しながら公式の歴史記述とは異なる歴史の語りのあり方を模索する文学作品となっている。本発表においては、過去と現在をつなげる「メルヒェンの森」としてのベルリンのティアガルテン、散歩のモチーフ、間テクスト性といった特徴にも注目しながら、グラス特有の語りのあり方を中心に『グリムのことば』を公式の歴史に対する主観的歴史の語りの試みとして読み解いていく。

Grimms Worter

Grimms Worter

玉ねぎの皮をむきながら

玉ねぎの皮をむきながら

箱型カメラ

箱型カメラ


6 Arne Klawitter (Universität Waseda): Vom Allgemeinen zum Auserlesenen. Die Lemgoer Auserlesene Bibliothek der neuesten deutschen Litteratur (1772-1781) als „gefährliche Nebenbuhlerin“ der Allgemeinen Deutschen Bibliothek
Die vom Berliner Aufklärer Friedrich Nicolai herausgegebene und von ihm über 40 Jahre lang verlegte Allgemeine Deutsche Bibliothek war zweifellos eine der wichtigsten kritischen Zeitschriften des 18. Jahrhunderts überhaupt. In insgesamt 256 Einzelbänden wurden über 60 000 Veröffentlichungen besprochen, für die über 400 Mitarbeiter kritische Beiträge lieferten, unter ihnen so bekannte Namen wie Herder, Kästner, Mendelssohn und Merck. Doch gab es von Anfang an auch immer wieder Konkurrenzunternehmen wie z.B. die Bibliothek der schönen Wissenschaften und der freyen Künste, das Magazin der deutschen Critik, welches die Nachfolge der Klotzschen Deutschen Bibliothek antrat, und den Teutschen Merkur. Schließlich artete das Zeitschriftenwesen dermaßen aus, dass die gelehrten Anzeigen und Literaturjournale den Büchermarkt regelrecht überschwemmten.
Mit einem ernst zu nehmenden Gegenkonzept trat 1772 die Auserlesene Bibliothek der neuesten deutschen Litteratur, auch kurz „Lemgoer Bibliothek“ genannt, gegen dieses Überangebot an und wurde eine Zeit lang durchaus als eine „gefährliche Nebenbuhlerin“ der Allgemeinen Deutschen Bibliothek angesehen. Die Herausgeber der Zeitschrift verfolgten anders als diese aber nicht das Ziel, möglichst die gesamte Buchproduktion des deutschsprachigen Raumes zu besprechen, sondern forderten eine strikte Auswahl. Über ihre Mitarbeiter ist bislang nur wenig bekannt, da die einzelnen Beiträge nicht mit den Namen der Verfasser, sondern mit Siglen unterzeichnet sind, und da die Autoren unbekannt blieben, wurde die Zeitschrift nach ihrer Einstellung 1781 schnell wieder vergessen.
In meinem Vortrag werde ich ein Gutteil der Siglen entschlüsseln und die Verfasser nennen und vorstellen. Dabei wird sich zeigen, dass die Initiatoren zum Teil sogenannte „Freigeister“ waren, die das Rezensionsorgan als Sprachrohr für ihre neuen ästhetischen und poetologischen Vorstellungen zu nutzen wussten. Es handelt sich um einen Kreis junger Dichter und Gelehrter, die in Hinblick auf ihre Ansichten durchaus mit den Stürmern & Drängern oder mit dem Göttinger Hainbund verglichen werden können. Aber unvermutet finden sich auch bekannte Namen unter den Mitarbeitern. Bedingt dadurch erscheint die heute zu Unrecht vergessene Auserlesene Bibliothek in einem völlig neuen Licht und gewinnt erheblich an literaturhistorischem Gewicht.

Auserlesene Bibliothek Der Neuesten Deutschen Litteratur, Volume 3

Auserlesene Bibliothek Der Neuesten Deutschen Litteratur, Volume 3

Allgemeine Deutsche Bibliothek

Allgemeine Deutsche Bibliothek



第三部 招待講演(17:30-19:00)

Moritz Baßler (Universität Münster): Realismus – Serialität –Phantastik. Eine Standortbestimmung gegenwärtiger Epik

(文責:助手)