【2012年合宿報告】(二日目)②

藤井先生勉強会

合宿2日目の午前中、藤井先生の勉強会は「ハインリヒ・フォン・クライストのにょきにょき副文を読む」というタイトルの通り、事前に配られたプリントをもとに進んでいきました。

まずはじめは、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』を例として、“ドイツ語では「前景」的なことは主文で、「背景」的なことは副文で表現する”と言われているのは本当かどうかを研究書で確認。分類しにくいものもあったものの、副文の内容の大方は背景的な内容であることを、翻訳をもとに確かめていきました。

このとき藤井先生が、主文には「行為」が、副文には「その内容」が書かれていて、主文の「行為」の後ろに副文の「内容」がふわーっと広がっている、という風におっしゃっていたのがイメージしやすかったです。そのとき私が描いた図が載せられれば良いのですが…私しか理解できなさそうな図なので、やめておきます(笑)そして、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』では、主文と副文の量がだいたい同じであることも確認しました。

続いては、タイトルともなった多和田葉子さんのエッセイの抜粋が登場。多和田さんは、「クライストの文章は副文が多く、しかもその副文が情報を追加するという役割をはみ出して、勝手ににょきにょきと生えていく」が鴎外のクライスト訳はそのにょきにょきと伸びた部分を「刈り込んで形を整えてしまっている」、と述べています。

では実際はどうなっているのか。原文・森鴎外訳・(参考に)種村季弘訳を読んでみました。確かに、クライストの文章は副文が多く、しかも副文で語られていることは重要な内容も多いです。ゲーテの文章では主文と副文はだいたい同じ量だったのに…。数えてみたところ、20行にたったの3文しかありませんでした。ただし、内容をよく見てみると、あくまで主文のメインは個人の話で(主文=前景)、副文で地震の話を主文に入れてきている(副文=背景)のがわかります。

藤井先生がおっしゃっていましたが、クライストは独自の主文副文のバランス感覚を持っていて、相当このバランスの感覚が良かったんですね…。それを踏まえて鴎外訳を読んでみると、確かに文章はすっきり整理されていて日本語で読む分には読みやすくわかりやすいです。

しかし、原文ではひとつの文で途切れることなく続いている部分が区切られ、段落まで変えられているのを見ると、原文の雰囲気は感じられなくなってしまっている、と思わずにはいられません。翻訳がどうあるべきなのか、というのも考えさせられます。

最後は種村季弘訳の感想・意見交換をしました。大きな災害に見舞われたときにこそ、人は優しくなれるという感想が心に残っています。

一転、大衆が煽動されればなんのためらいもなく「悪人」を殺してしまえるものだ、というもの表現されていて、短い中に、どん底から天災で幸せを手に入れ、また突き落とされるという展開の激しさが詰め込まれていて、密度の濃い作品だと思います。

ちなみに、この勉強会中にクライストが戯曲で有名なことを知りました…文章を読んだ後に知ると、なんとなく感じていた文章の雰囲気に対して、なるほど作者は戯曲を書く人だからだったのね…!と納得です(笑)

終始穏やかな雰囲気の勉強会でした。楽しかった面白かった興味深かった!というのが私のストレートな感想です(笑)

藤井先生、ありがとうございました!

文責 2年野本

チリの地震---クライスト短篇集 (KAWADEルネサンス/河出文庫)

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ヴィルヘルム・マイスターの修業時代〈上〉 (岩波文庫)

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文字移植 (河出文庫文芸コレクション)

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