【2011年度合宿報告】3日目 

<大久保先生―「男と女の間には」>

 前日いつのまにか床に就いていらした大久保先生。というのも体調を崩されたそうで、独文一同心配するなか皆の前に。
予定を変更して1時間の発表時間を短縮するアナウンスが山本先生のほうから入り、それでも大久保先生の発表が聞けるということで皆一安心。

 今回話題に挙がった主なテキストは、レッシング『エミーリア・ガロッティ』とシラー『たくらみと恋』。
まずは大久保先生らしい?緻密で精巧な訳へのダメだし。貴族の平民の娘に対する呼びかけで「お嬢さん」ではなく「娘さん」にするべきだ!と、指摘が入る。
翻訳者は常に当時(この場合は18世紀)の社会背景を意識しなければならない、という言葉に辞書に頼りすぎていた自分に深く反省。

 この時代の時代背景を意識させるものとしてさらに先生が取り上げられたのが、『エミーリア・ガロッティ』第二幕第一場。
エミーリアの父オドアルドと母クラウディアがたった一人で出かけたエミーリアを話題にするシーン。
オドアルドが「一人でか?」と聞き、クラウディアが「ほんの2,3歩ですもの」と返すと、オドアルドは「一歩でも過ちを犯すには十分だ!」と激昂する。
この時代の貴族の女性は従者をつけずに歩くこともままならないのか、と現代とのギャップに驚きながら、なんだか彼らの日常をタイムスリップして垣間見たようで得した気分になれるのも文学をじっくり読む者の特権だろうと思わず頬を緩ませる。

 さらにこの時代の作品中の女性の発言についても言及がなされた。
女性が男性にたいして壮絶な復讐の言葉を(それもこの場合すさまじく残酷な描写でもって)かけるのは、『ニーベルンゲンの歌』のクリームヒルトなど限られているとして、18世紀ドイツ文学では大変興味深いとお話しされた。
他にも興味深い事例がいくつか挙げられて、当初の予定を大幅に引き延ばして発表は終了。
いざ始まってみれば最後まで病み上がりを感じさせない先生のパワーに驚かされました。
あったという間の30分、いや1時間弱でした。
昨晩の発表に引き続き<テキストをしっかり読む>という喝も入り、この言葉が合宿総まとめの課題となったのは言うまでもありません。
文責 2年徳永

エミーリア・ガロッティ ミス・サラ・サンプソン (岩波文庫)

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たくみと恋 (岩波文庫 赤 410-0)

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ニーベルンゲンの歌〈前編〉 (岩波文庫)

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