早稲田ドイツ語学・文学会第19回研究発表会【2011年10月1日(土)】

早稲田ドイツ語学・文学会第19回研究発表会を下記の要領で開催いたします。皆様のご来場をこころよりお待ちしております。

開催日時:2011年10月1日(土)12:00〜
開催場所:早稲田大学戸山キャンパス第七会議室(39号館6階)

研究発表会プログラム

第一部:研究発表(12:00〜15:45)

1.「人間に委ねられた形象への力」――ニーチェ悲劇の誕生』をリルケはいかに受容したか

発表者:山崎彩氏(早大大学院)

1900 年3 月、リルケニーチェの著書『悲劇の誕生』について、全集版で10 頁強になるメモを書いた。この無題のメモ群は、ニーチェの著作に対するリルケの手になる唯一の覚え書であるにもかかわらず、そこに表れているニーチェの思想に対する誤解や曲解が原因で重要視されず、「若気のニーチェ気どり」として片付けられている。

本発表はこの誤解や曲解に注目することで、ニーチェの思想と、それに対するリルケの記述の差異を明らかにし、それによってリルケニーチェ受容のあり方を考察したい。リルケニーチェの『悲劇の誕生』で論じられる古代ギリシャ芸術の発展史とその構造を変容させることで、リルケ独自の芸術論を発展させていったことを示そうと思う。

リルケ詩集 (岩波文庫)

リルケ詩集 (岩波文庫)

悲劇の誕生 (中公クラシックス)

悲劇の誕生 (中公クラシックス)

2.『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』の夢――ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』との比較から

発表者:近藤福氏(早大大学院)

ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(以下『マイスター』)が出版された当時、ノヴァーリスも初期ロマン派の詩人たちの例にもれず、当時文学的地位が高まりつつあった「小説」というジャンルにたいして期待を抱いていた。そのことは彼の断章群や日記、書簡によく表れており、『マイスター』を読み、その形式と内容についてさまざまに吟味した『マイスター』研究についての断章もこうした関心のもとに位置づけられる。

しかし、1800 年ごろから、『マイスター』研究の断章に、ゲーテへの批判が徐々に表れるようになる。ノヴァーリスの『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』(以下『オフターディンゲン』)の執筆の意図がいわゆる「アンチ・マイスター」を書くことにあったとする見方は、従来の『オフターディンゲン』解釈においてしばしばみられる。ノヴァーリスがみずから想定していた「『マイスター』の限界」を踏み越えることで『オフターディンゲン』という新しい輪郭を描いてみせたと考えることは、たしかに妥当であろう。しかし、作品そのものは同時に自らの限界を踏み越えるような振る舞いをも随所でみせている。そこで、本論文では、『マイスター』と『オフターディンゲン』の夢の場面を例にとって、その描写と小説における機能の比較検討を行う。

そのさい中心となるのは、『オフターディンゲン』では第1 部第1 章の「青い花」の夢と、同第6 章最後のハインリヒの夢、『マイスター』では第1 巻第12 章でマリアーネによって語られるヴィルヘルムの夢と、第7 巻第1 章の最後の場面である。これらの場面には、不安のイメージをともなう阻むものとしての水、恋人の喪失、風景の描写などが共通している。『マイスター』の夢の場面は、夢でのできごとが現実として結末において成就することで小説の筋に緊張をもたらすとともに、人間形成の目的はその人間自身のうちにすでに存在しているという発想にもとづき、予見的に機能している。夢は、現実を実像としたとき鏡に映るいわば虚像であり、筋を先取りすることはあっても、つねに単線的に結末を指向している。

ノヴァーリスにおいては、人間形成にたいする同様の発想を保持しつつ、『マイスター』の夢の場面に登場するモチーフを統合することで、夢の予見的機能を発展させている。第6 章の夢では水を隔てて現実が読み替えられるが、このとき水―鏡をはさんで夢と現実はおたがいに相手の虚像でもあり実像でもあるような関係にある。この複線的に結末へ向かう構造は、『マイスター』という枠組からの逸脱であるとともに、『オフターディンゲン』が結果的に開かれた結末をもつ断章にとどまっていることの反映ではないだろうか。上記の仮説にもとづいて、『オフターディンゲン』のなかで語られるメールヒェンや伝説と夢の関係についても考察する。

青い花 (岩波文庫)

青い花 (岩波文庫)

新装版・ゲーテ全集 7

新装版・ゲーテ全集 7

3.ヨーロッパにおける『文学地理学』

発表者:宇野将史氏(ハイデルベルク大大学院)

チューリッヒ工科大学を拠点に文学と地図学を融合させた研究を展開しているバーバラ・ピアッティ氏が上梓した『文学地理学』(Piatti, Barbara: Die Geographie der Literatur, Göttingen 2008)は、テクストのみを分析の対象とした解釈学を越えて再び「空間」に焦点を当てた読みの可能性を提示している。本発表ではピアッティ氏の理論を紹介し、文学作品の舞台として設定されている現実の「場所」と作者による虚構との関係をどのように捉え、それをどのように作品解釈につなげてゆくのかを考察し、さらにゆかりの地を辿る文学ツーリズムのあり方、そしてルソーやシラーなどを援用したケース・スタディも取り上げてみたいと思う。

Die Geographie der Literatur: Schauplaetze, Handlungsraeume, Raumphantasien

Die Geographie der Literatur: Schauplaetze, Handlungsraeume, Raumphantasien

4.G.ヴェルディの《ドン・カルロス》のパリ初演(1867)に関して

発表者:織田繁美氏

ヴェルディの《ドン・カルロス》には、1867 年パリで初演された五幕の初版と、それを四幕に縮小し、数々の手が加えられた1883 年の改訂版がある。改訂版では初版の第一幕全体と残酷きわまる火刑の情景がカットされていて、現今では上演時間の制約からも、初版の作品が上演されることはない。このような初版の作品でさえ、ヴェルディによって新機軸が打ち出されたといわれている。

フランドル住民の代表が王子に率いられて、国王の面前に現われた時には、自分たちの国の救済という願いが聞き入れられると期待し、国王に対して溢れんばかりの感激の発露があった。彼らのこの同じ感情が、思いも掛けず国王から拒絶されるや、ライヴァル(国王とカトリック教会)に対する自分たちの嫉妬深い怒りの表出と取り組むこととなる。かと云って、ここでの異常な情熱のために、マイヤー・ベールの《ユグノー》(Les Hugnenots)に見られるような、取り立てて悲惨で、残酷な楽音を鳴り響かせてもいない。むしろ抑圧された民(フラマン人)は絶望感にうち拉がれながらも、敬意を表すべき確固たる態度をもって、とても美しいが、明確さを欠いた渦巻き状のメロディの奏でられる中で、微塵の憐憫の情さえ持ち合せない独裁君主政府による受難と結びついたカトリック教会による受難のために疲弊しきった自分たちの祖国の解放を要求している。このような観客の心の奥底まで揺振る情況は、この初演では、二重唱、三重唱、他の合唱の形態を取って、リブレットの中に数多く存在していた。

5.Der Wortschatz in Profile Deutsch. Grundlagen, Probleme, Perspektiven.

発表者:Willi Lange 氏(早大教授)

Profile Deutsch nimmt im europäischen Deutschunterricht eine Schlüsselstellung ein, weil sich die internationalen Fertigkeitsprüfungen im Grund- und Mittelstufenbereich (A1-B1) sehr stark an Profile orientieren. Entsprechend sind auch die vorbereitenden Lehrwerke maßgeblich von Profile beeinflusst.

In dem Vortrag soll der Wortschatz von Profile genauer betrachtet werden. Es werden die Prinzipien der Wortschatzselektion dargestellt und die damit zusammenhängenden Probleme beleuchtet. Ein Ausblick auf alternative Ansätze schliesst den Vortrag ab.


第二部:シンポジウム( 1 6:4 5〜)

「博士論文執筆をめぐって」

司会:藤井明彦氏
パネリスト:亀井伸治氏・杵渕博樹氏・武田利勝氏・佐藤英氏

博士論文の準備・執筆・完成について、最近博士号を取得された在京の若手の方々にお話ししていただきます。

文責:助手