【2010年度合宿報告】2日目―パート1―

【2日目】

2日目の午前中は各先生方に勉強会を開いていただき、学生がそれぞれの興味・関心に従って学べるという形にしました。
勉強会に参加した人たちからの報告です。

<藤井先生―『赤い点Der Rote Punkt』鑑賞―>
参加者:キムユラ、吉田、糸井、曽根、蘆田、鉢村(2年)、馬場、藤本、武、井上(3年)、福原、西村(4年)、依田(5年)
2年生で一人、授業で観たことがある人がいたり、家族や性に関する知識・思索に富む3年生がいたりしたこともあって、ディスカッションがとても盛り上がり、司会者冥利に尽きました。斯くいうわたくしも一度観ていたうえ、前日にプロットを中心とした発表(シュティフター「水晶」)をしていたので、作品の構成がよく見えて、司会をするにあたり、色々と話題を準備することができました。再度鑑賞して、非常に議論が活発になりやすい映画だな、とは思いましたが、まず主人公が自分たちと同じような世代であること、また自分たちの学び舎と師が映っているというのは、親近感を湧かせるうえで良い効果を発揮したと思います。
学生のコメントを編集していて、多少物足りなさを感じました。というのも、議論が本当に活発に起こった印象を受けていたので、やはり言語化するには時間的余裕が無かったかな、と反省しています。書記を用意していなかったのも反省点ですかね。
日本のボーイフレンドの誠実さによって強調されるモラトリアム感、ドイツからの小包が梅干しという"赤い点"のあるクローゼットから見つかること、ドイツ道中のマリア像、などなど、比較的わかりやすいモチーフが多く使われていて、しかし映像は流れていくので数回観ることによってそれに気付く、という耐久性のある作品でしょう。それゆえ、今回所見だった人たちから色々な意見が出たことには、本当に驚きました。
気になるのは、「主人公は自分の出自に関して、出発前、どこまで知っていたのか。」です。自宅の表札が山崎なのに、ドイツにて自己紹介で小野寺という、など、なんとなくは知っていたようだけれども、しかし彼女は自分の幼少のころの真実を知るために、ドイツへ行くわけだし、過去の夢からその必要性を感じ取る。もしある程度知ったうえでドイツへ行っているのだとしたら、多少現実逃避をしただけか?という突っ込みも入るのではないかと。
エリアスの家族との同時並行的家庭修復の物語、ということで、かなり構成が練られた作品だなあ、と感じました。家庭が一つテーマなせいもあるだろうけれど、非常にheimatlichな作品でした。(文責:3年武)
以下が学生からのコメントてす。
・亜紀がドイツ語をつたなく話す感じなのに、しっかり聞き取れてる?それとも、雰囲気を感じ取るのがうまい人なのかな?と疑問に思いました。運命という偶然が重なるところは、もっと工夫して、必然に持っていけいけるような運び方ができれば、もっとリアリティが生まれてくるんじゃないかと思いました。(4年)
・日本パートとドイツパートの二つの世界観が一つの映画で味わえた。時間軸の取り方は大きいけど空間のとりちが狭いので話の展開が後半大変だったのでは?(日本とドイツの距離はあっても実際に話が進んでいく場所は限定されている。)家族というものの表現。近代的な家族の典型がくずれていく今の時代にどう表現するかはとても困難だろうと思います。(3年)
・あまり甘すぎず、ベタベタとしていないストーリーの進み方に、好感を持てました。『赤い点』というタイトルは、事故現場のほかにも、「自分を追いかけてくる太陽」とか様々な意味が込められているのかもと考えると、面白いです。(2年)

<大久保先生―トーマス・マン魔の山Der Zauberberg』のVorsatz(通常「前置き」などと訳されるが、原義は「意図・決意」)講読>
参加者:蘆田(2年)、宮田、沼田(4年)
合宿二日目の大久保先生勉強会では、トーマス・マンの長編小説『魔の山』のVorsatzの購読を行いました。
ひとり一文ずつ原文を読み、次にそれを訳し、それに対して先生からの訳文についての指摘や作者の意図、時代とのかかわりについての説明を受けました。
原文はわずか2ページ足らずの短いものですが、ドイツ語で書かれた散文の最高峰であるため極めて難しいものです。とりわけ古風で格調高い言い回しや、簡単には意味のわからない含蓄の多い文章表現には皆苦労したようです。にもかかわらず訳読は比較的スムーズに進みました。これは全員がきちんと予習してきたなによりの証拠です。
大久保先生の説明も、本文の解説はもとより、トーマス・マンの生涯とその時代、『魔の山』の中断と第一次世界大戦の作品への影響、そして借金で首のまわらない当時のマンの苦労話、等々実に多岐にわたりました。そんな風に非常に楽しい脱線を繰り返しながら、マンの名文を時間をかけて熟読していったため全文を読み終えるのに二時間以上もかかり、昼食ののちにまでずれこんでしまうことになりましたが、読了後はそれまで『魔の山』を読んだことのない人たちも「本当におもしろかった」「ぜひこの先も読んでみたい」と口々に言って、好評のうちに勉強会を終えることができました。
魔の山』はアルプスのサナトリウムを舞台にした長篇です。そのため作品には冷涼な高地の雰囲気が感じられ、同じく標高の高い信濃追分で読むのにぴったりした小説といえます。開け放たれた窓から吹き込んでくる涼やかな風を感じながら、この見事に彫琢された名文を味読できたことは、参加者全員にとって後々までも残るよい思い出となりました。(文責:4年沼田)

<シャイフェレ先生―「Aphorismen」講読>
参加者:菅野(2年)、田邉(3年)、齋藤(4年)
今年のシャイフェレ先生による勉強会、テーマは「Aphorismen」ということで、ドイツに限らず世界の有名作家・哲学者等々によるアフォリズム40篇を(テキストはすべてドイツ語です)、先生に解説していただきながら読み、その後自分の一番好きな一篇と嫌いな(?)一篇を選んでそれについて皆で議論しました。
また今回、事前に渡していただいたテキストにはアフォリズムの作者名が記されておらず、勉強会の最後に作者が明かされる!という面白い趣向が盛り込まれていたため、より議論が盛り上がり、学生達もドイツ語で活発に発言していました。日本語で似たような言葉があるかといったことも議論の対象になりました。
それではここで学生達&先生のお気に入りのアフォリズムを少し紹介・・・
Erfahrungen vererben sich nicht ? jeder muss sie allein machen.
経験は遺伝しない−各々が一人で作り出さなければならない。(Kurt Tucholsky)

Eine richtige Antwort ist wie ein lieblicher Kuss.
正しい回答というのは愛らしいキスのようである。(Goethe

Wir mussen allezeit gestiefelt und reisefertig sein.
我々は常に長靴を履き、旅に出られるようにしておかねばならない。(Michel Eyquem de Montaigne)
短い言葉で世の真実を語ろうとするアフォリズムの世界を深く味わえた2時間でした。(文責:4年齋藤)

<山本先生―Ingo Schlze:Handy講読>
参加者:鳥山(2年)、香山、金(3年)、川本(4年)
今回の勉強会は、Ingo SchlzeのHandyという作品を各自あらかじめ読んできた上で、まずは内容確認のために一人一段落ずつ訳していき、途中まで読んだところで議論に移る(時間の関係で)、という形で進められました。

Handyは、恋人Constanzeにしか携帯番号を教えていなかった主人公が、突然現れた男Neumannに番号を教え、Constanzeはそれに逆上、「離婚する」とまで言い出すが、最終的には携帯の鳴り響く音の中で愛し合う。大体このような内容です。
 特徴としては、主人公が終始一人称でしか描かれない点、心理描写が見られない点、等が挙げられます。文体はどちらかというと読みやすいのですが、主人公の性別が特定出来ないこともあって混乱し、物語をつかむのに苦労しました。
主人公の性別に関しては、全員が最初困惑したようで、女性だと思って読んだ人(レズビアン小説疑惑)と最初から男性だと思って読んだ人とに分かれていました。議論の結果、臆病者だと思われることを恐れている描写が数回出てくることもあり、男性を想定して読んで問題ないのではないか、という結論に落ち着きましたが、はっきり言及されている訳ではないので、疑問は残ります。
また、なぜ電話番号を教えただけでConstanzeはこれほどまでに怒るのか、という疑問も挙がりました。
次に、「シュティフター」や「フォンターネ」という文学者の名前が出てくるのはダサい(何のためにその名前を出したのか?)、読後感がフィッツジェラルドに似ている、等の意見が挙がりました。アメリカ文学との類似性がある、という指摘はクレメンス・マイヤーの発表の際にもありましたが、最近のドイツ文学にはその傾向が多いように感じました。
山本先生は、文体にはそれほど特徴が見られない(誰でも書けそうな感じ)が、最後に二人が愛し合うシーンは美しい、という意見をおっしゃっていました。
今回の勉強会では、普段読む機会の無い作品を原文で何度も読みこむことによって捉えどころの無い作品に面白さを見つけ出すという読み方ができました。ただ読むだけでなく意見を出し議論することによって、他の人の視点に触れることができるのも勉強会の醍醐味だと感じました。(文責;4年川本)

長くなってしまったのでこの辺で。