【2010年度合宿報告】1日目

7月3日(土)〜7月5日(月)の2泊3日で2010年度独文合宿(公式)が行われました。今年度は4人の先生方や例年をはるかに上回る数の学生がご参加くださりいつになく活気めいた合宿となりました。
その模様を3日間に分けて報告します。

【1日目】
まだ梅雨も明けきらない蒸し暑い空の下、私たちは長野県軽井沢へとバスに揺られ向かいました。当日まで準備をしていた幹事さんはじめ協力してくださった方々にこの場を借りて改めて御礼申し上げます。
それでは、さっそくいきましょう。1日目は3年生の発表がありました。
<3年発表>
グリム童話における残酷性 ―『杜松の木(KHM47)』から考える―」
 発表者:馬場愛(3年)


 合宿のメインイベントである研究発表会、そのトップバッターを華々しく飾ったのは今回唯一の女性発表者、馬場愛であった。馬場はグリム童話というドイツ文学においても極めて人口に膾炙した対象を、その「残酷性」に焦点を絞った上で、民俗学的、心理学的、文芸学的視点など、多角的な視点から解釈を試みた。またフランスのペロー童話およびマザーグースとの比較を通じて、童話における「残酷性」の普遍性を示し、その是非を考察した。

 以上のように、その性格上非常に幅広い知識や視野を要求される研究であったが、発表者はあらゆる観点において極めて緻密な分析を行っており、その包括性は大久保先生をして「卒論のようだ」と言わしめるほどのものであった。聴衆からの質問・意見としては、グリム童話における宗教性などさらなる視点の提示のほか、「善悪」や「残酷性」という概念の歴史性/イデオロギー性および児童を規律化する権力としての童話の機能に反省的でないことなどが指摘された。

 時間配分においても馬場の発表はまさしく模範的なものであり、21時を少し過ぎたころに予定通り休憩に入った。我々が一時的に緊張をほぐし発表の余韻に浸っている中、テンションの極致に達しようとしている男が一人いた。次の発表者、武玲央和である。

 「ノサックの発言からみる『水晶』〜シュティフターはおれと話して書き直せ!〜」
 発表者:武玲央和(3年)


 発表タイトルに表れている通り、独文合宿第一日目のトリを務めた武玲央和の発表は非常にユニークなものであった。冒頭からシュティフターとの「馴れ初め」を漫談口調で語って会場の爆笑を誘い、その後も果敢に笑いを取りにいく姿勢を発表終了まで決して忘れることがなかった。発表趣旨もシュティフターの『水晶』のプロットに注目し、その「クリシェ」を批判するという、自身も小説家である武らしい内容であった。また、その批判の根拠として『水晶』とそれを収めた短編集『石さまざま』の序文との乖離を提示した。

 質疑応答では、その非常にポレーミッシュなテーゼゆえに、文学の非本質的一側面にすぎない「プロット」に焦点を当てる姿勢への違和感など、発表の根本的出発点自体を問う質問が相次いだ。また発表者のある種メタ作品的ともいえる議論に対してさらに高次なメタ作品的議論を提示した助手の小野寺氏は、この夜今回の合宿最初のピークを迎えた。

 しかしこのように根源的な議論ばかりを誘発したのは、武の発表が自身のテーゼの証明において完璧であったことの証に他ならない。つまり今後、今回のテーゼに対して発表者自身がアンチテーゼを打ち立てることが出来るのならば、弁証法的発展によってより高次なアウフヘーベンへと達することが可能なのである。「一年間の成長を示す」とは発表者が今回の発表において自身に課した目標であり、私は今もその達成に対する反駁を模索するが、それが徒労に終わらぬことはない。

1日目発表文責:3年金