【2010年度合宿報告】3日目

それでは3日目の報告です。
この日の発表は、月曜2限「ドイツ文学演習1」の授業の一環として2年生2人の発表となりました。報告は司会を務めた曽根くんです。

<2年発表>
≪「夜と灯りと」クレメンス・マイヤー≫
発表者:宮原大典(2年)


合宿初の2年生発表者である宮原君は、並みいる上級生の論客たちを前にして、合宿最終日というプレッシャーにも関わらず、それを一切感じさせない砕けた口語表現を駆使、クレメンス・マイヤー「夜と灯りと」を分析した。

発表者はまず表題作に収められた12の短編を紹介し(とてもユーモラス)、それらの共通点を指摘、続いて「負け組」という作品を読み解くキーワードを提示した。さらに発表者はその感性によって、ほとんどの短編に登場する「カクテル」という象徴的なアイテムを発見、そこから作中人物たちの抱える意識を浮き彫りにしてみせた。この発見は、その後の質疑応答においても助手の小野寺氏より「事前知識がないのに、よく気がついたね。」との称賛を受けるほどのものだった。また彼は、短編ごとの語りの人称変化についても「なぜ?意味は?」という問いかけから思考を展開し、作者の表現意図にまで果敢に踏み込んでいった・・・

質疑応答は活発に行われた。日独での「負け組」の用法の違い、「カクテル」の役割、アメリカのビートジェネレーション、現在の東ドイツの文化状況についてなど、その内容は多岐に渡った。しかし、そんな中でも特に、クレメンス・マイヤーを「モサい」とする主張が盛り上がった・・・ように思った。

≪夜と灯りと Die Nacht, die lichter≫

発表者:蘆田泰輔(2年)

2年生二人目の発表者、蘆田君は「夜と灯りと」を作品中に登場するガジェットに着目して物語の構造を分析した。前の発表者と課題は同じだったものの、新しい解釈の視点が示された。

発表者は「夜と灯りと」の12の短編の中から特に、「語り手の思考の現在を描く三編」を選びだし、ガジェット(小道具)が物語の中で果たす役割を論じ、そのなかで徐々に個々の作品の持つ意味を浮かび上がらせていった。また、発表者はそれ以外の様々な解釈の可能性も指摘した。たとえば資本主義社会の暴力性を見出す読みや、日常の砂漠化、つながりの共同体(各作品の登場人物たちの「つながり」の可能性)などの、アクチュアルな問題提起を含んだ読みである。この解釈には、後の質疑応答において先生方からもご意見があり、ドイツ社会の「階層」の中で底辺から抜け出せない(抜け出さないのではない)人々、ドイツの「砂漠化した日常」についてのご指摘を得た・・・

質疑応答ではクレメンス・マイヤーの叙述の信頼の出来なさ(ブコウスキーや、小説「on the road」との比較)、大衆に媚びるような固有名詞の濫用などについて、発表者の読みを問う質問があり、そこから議論が盛り上がりをみせた。
そして、最後には2年生の発表者2人について、大久保先生から「大議論を前提としない、感性に依った考察はとても良かった。」との総評をいただいた。   
3日目発表文責:2年曽根

これで、2010年度独文合宿全日程が終了しました。
このあと私たちは昼食を食べ、バスに揺られながら帰路に就きました。その後、何人かが集まって恒例の打ち上げとなりました。結果的に、合宿の反省会となり、来年の合宿をより良いものにするため今回合宿における様々な反省点が出されました。来年幹事の鳥山さん、頑張ってください。

さて、独文合宿はいかがだったでしょうか。え、大変そう?でも今回参加した一人一人が、「参加してよかった」と思う瞬間がちょっとでもあったとしたら、その思いが独文合宿という伝統を引き継ぐ一番の力となる、と僕は思うわけです。
なお、写真は適宜貼っていきますのでしばしお待ちください。
ではでは。

総合編集:3年香山