夏合宿、その他

今年の夏の独文合宿の幹事を務めた藤田直子さんに、独文に関する記事を書いてもらいましたので、掲載いたします。(佐藤)

みなさん、はじめまして。独文3年のフジタです。今回、このブログで執筆をすることになりました。これが最初で最後になるか。あるいはこれからも何度か書くことになるか。さっぱり見当もつきませんが、独文についてみなさんに少しでもお伝えできればと思っています。どうぞよろしくお付き合いください。

前置きはこの辺にするとして。実は7月30日〜8月1日に合宿を行いましたので、その様子を早速レポートします。まず、独文合宿の特徴は「学・飲・卓」の 3つあります。ひとつめの「学」とはつまり、勉強することです。1日目の夜には発表会、2日目の午前中には勉強会です。前者の発表会は発表者があるテーマについてプレゼンをし、その後、参加者で議論をします。発表者は話し合いによって決めるので、自主的に名乗りを上げる人もいれば、先輩にねじ伏せられてやむなく引き受けてしまった人もいます。ですが、どちらにせよ最終的には良い経験として捉える人が大半です。後者の勉強会はグループ(担当教員)ごとに分かれて好きな分野、好きなテーマに自由にアプローチしていきます。文学作品を読むか、あるいは演劇やオペラの上映をすることが多いです。

ここまできて、みなさんの中には「なんだ。独文はやっぱり堅苦しくてツマラナイなぁ」という印象をもった人がいるかもしれません。それはそれで一向に構いませんが、ここで言いたいことがあります。みなさんは何故大学に入ったのですか。と同時に何故早稲田でなくてはならなかったのですか。理由は人によって様々あるでしょう。いずれにせよ、自分で自分の人生を思うように生きるためではないでしょうか。大学では何をするのもみなさんの自由です。ただし、自分の頭で考え、行動する必要性に日々迫られていることを忘れてはいませんか。

「大学(もっと言うと早稲田)に入ったら何となくイイことがあるような気がする」
これは幻想に過ぎません。自分の意思によって人生を切り開いていくこと。これこそが大学生活の醍醐味なのではないでしょうか。その基本的な行為はもちろん学業であることは言うまでもありません。社会に出ると、なかなか勉強する時間はとれません。モラトリアムの中で好き勝手にモノが言える立場は恐らく学生時代が最後です。学生の言動は矛盾していても許される。だからこそ、学ぶことによって自分を知り、他者や社会に目を向けることが重要になってくるのです。独文は確かに規模は小さいですが、ひとりひとりが目的をもって地道に自分のテーマと取り組んでいます。これは大人数の専修にはない長所です(まぁ、短所も当然のことながらありますけど…)。合宿では必ずしも全独文生が参加する訳ではないので、さらに少数の人数の集まりになりますが、毎年非常に充実した時間を過ごしています。

さて、説教臭くなってきたところで、今回はもう切り上げるとしましょう。「えっ…、残り2つはどうなるの?」と気になった人はこれからも独文ブログをチェックしてみてください。そのうち私がまたこの続きをエラソーに書いているかもしれません。そして、独文についてもっと知りたいという人は第一研究塔 11階の独文専修室へ遊びに来てください。訊きたいことは直接———という人は是非。それではみなさんAuf Wiedersehen!!(またお会いしましょう)(藤田直子)