博士課程の入試、等々

今日、博士課程の入学試験(筆記試験)が行なわれました。今回の独文の志願者は2名であったようです。「あったようです」――こういうあいまいな表現になっていること、どうぞご理解ください。今日の私の仕事はドイツ文学の試験監督ではなく、本部で待機していることでしたので、彼らを直接見たわけではないのです。ともあれ、あがり症の私はこの試験でとても苦労したものですから、彼らがうまく試験を通ってくれることを心から願っています。

今日は先生方が大勢おいでになるので、博士課程の入試が終わったあと、ドイツ文学の専修紀要というべき『ワセダ・ブレッター』(詳しくは、ホームページ内の記事をご覧ください)の校正作業が行なわれました。現在は編集の最終段階にあるので、訂正事項はほとんど出てこないのですが、やはりそれがゼロというわけではありません。問題のあるページを印刷所にファックスで送信し、後日、その修正が正しく行なわれたかをチェックすることになります。なおこの雑誌は、 3月末に発行される予定です。

こうして今日の仕事を終え、私もめでたく帰宅となったのですが、専修室の鍵を閉めてエレベーターで降りてくるときに、ふとあることが脳裏をよぎりました。「私は今日、何のためにここへ来たのだろうか」と。私が大学へきたのは、朝8時(本当は9時までに来ればよかったのですが、この時間に合わせてくると、東西線は乗車率200パーセントの超ラッシュ状態ですので、朝早く来る必要のあるときは、いつも7時前後に電車に乗るようにしています)。そして大学を出たのが夕方6時。この間にした仕事は、まずは試験監督。しかし、今日は特に問題が出なかったので、結局、本部で何もせず座っているうちに終わってしまいました(試験場で監督をしている同僚の苦労を思うと、申し訳ない気分でいっぱいです)。その後の校正作業も、私の関与する仕事ではないので、これまた終了するまで待機。

結局、今日したことで仕事らしいことといえば、問題のあった校正刷り9枚をファックスで送信することだけ。つまり今日は、待機の時間が長かったわりに、それに見合った実のある仕事をしなかったのです。誤解しないでくださいね、こんなことはめったにないのです。特に最近は、年度末の事務処理で忙殺されていたのです。ともかく、こういう日には、普段の反動で気が緩んでしまって、疲れたような疲れなかったような、変な気持ちになります。(佐藤)