早稲田ドイツ語学・文学会第20回研究発表会【2012年9月29日】

早稲田ドイツ語学・文学会第20回研究発表会を下記の要領で開催いたします。皆様のご来場をこころよりお待ちしております。

開催日時:2012年9月29日(土)13:00〜

開催場所:早稲田大学戸山キャンパス第七会議室(39号館6階)
第1部(13時〜15時)

1 山田よしこ(早大文研修士課程在学):のぞき穴の風景――パニッツァの散文におけるIch-Erzählerの知覚形態について
オスカル・パニッツァの文学におけるErzählerは出来事に対して、完全に開かれた視界を持たない。彼が目にする情景は、必ず何らかのものによって遮られ、彼はいわば枠で縁取られたのぞき穴を通して見たものを報告することになる。同時代のパノラマなどの光学装置による視覚の変化、パニッツァの宗教に対する意識とも関連させつつ、Erzählerの視界に何が収まり、何が遮られているか、それにより生じる幻想的「ヴィジョン」(パニッツァによれば、あらゆる物語はヴィジョン的でなければならない)とはどのようなものかに着目する。

パニッツァ全集 (1)

パニッツァ全集 (1)


2 金志成(早大文研修士課程在学):ウーヴェ・ヨーンゾン『ヤーコプについての推測』における作者/語り手の非全知性の契機としての「人物」及び「物語」のエクソトピー

ウーヴェ・ヨーンゾンのエッセイ『ベルリンのSバーンBerliner Stadbahn』(1961)は、東西分裂国家という特殊な状況下で書くことの困難さについて述べたものであるが、その困難さは同時にデビュー作である『ヤーコプについての推測Mutmassungen über Jakob』(1959)における作家の詩学をも規定しており、それゆえ初期ヨーンゾン研究における最重要文献とされてきた。中でも、終盤部でなされる作家の「全知性という作法への疑い」の表明は『推測』の特徴的な語りの根拠としてしばしば引用されてきたが、近年の研究ではさまざまな矛盾点が指摘されている。本発表の目的は、代表的な先行研究を検討した上で、このエッセイの解釈に新たな視座を提示することである。

これら『ベルリンのSバーン』を巡る論争は、<作者とフィクション>の問題に還元される:具体的には、「私がそれを知っているのは、私がそれを作ったからである」(ジェラール・ジュネット)といった言葉で表されるような両者の関係についてのコモンセンスからの逸脱である。こうした<作者の脱特権化>はもちろん、「記号作用の戯れ」や「受容美学」といった理論によっても説明されうるものであるが、『ベルリンのSバーン』及びインタヴュー等での作家の発言を分析すると、この逸脱は独自の契機を持つものであることが分かる。

示唆を与えてくれるのは、作家によって独特に捉えられている「人物Person」及び「物語Geschichte」の概念である。ポール・ド・マンは『ダイアローグとダイアローグ性』において、エクソトピー(他者性)の原理は虚構と現実の対立を無効化すると述べているが、ヨーンゾンにおける「人物」及び「物語」はまさしくこのエクソトピーを孕むものなのである。(それは理念的・綱領的なものにとどまらず、作家のレトリックからも浮かび上がってくる。)そして自律性を備えた両者の、作者/語り手の語りに対する抵抗は、『推測』のテクストにもその痕跡を残していたのであった。

世界の文学〈22〉ヨーンゾン (1977年)

世界の文学〈22〉ヨーンゾン (1977年)

新しい世界の文学〈第27〉ヤーコプについての推測 (1965年)

新しい世界の文学〈第27〉ヤーコプについての推測 (1965年)


3 横山直生(早大文研博士課程在学):フランツ・カフカ『役所文書』における、抑圧と解放の技法
本発表はまず、カフカの 『役所文書』が2000ページにわたる膨大な資料としてまとめられた現在も、それは注目するに値しない完全に非文学的なものとして扱われている状況を報告し、その不幸な歴史について振り返る。その後、以下の二つの側面から、この資料の積極的な読み直しを行う。
1.誰かが法テクストの下で労働を管理し監視するということ。あるいは、その誰かが現実を象徴言語に還元し、言語において権力に合わせて改変するということ。それは「労働災害補償」という名の下で、匿名の言説の権力が実際的な生をソフトに抑圧するという、非常に見えづらい束縛の体制である。そして、有能な官吏としてのカフカはその尖兵であるといってよい。このような視点からテクストに潜在している、当時のカフカによる(カフカの『日記』は明確にあらゆる抑圧作用を退けているにもかかわらず生じる)抑圧作用を分析する。
2.カフカは幅広い労働分野での機械のエキスパートでもあったし、また当時発明されたばかりの電話とかパルログラフといったメディア装置にも鋭敏に反応している。このカフカのメディアへのまなざしは、彼の中のメディア転送システムとして働き、役所資料が現実の労働現場からの写真、図版、アンケート、請願書、あるいは足を使っての現地視察といった転送技術によって作られている限りで、このメディアへのまなざしは、テクストの内容においてのみならず、書字の技法の中にも効果を発揮する。それは、互いに離れた個別の労働同士を一つの伝送ケーブルの上で相互に参照させる。それは、ある肉体とその遠近法からしか成立しなかった労働を、複製に転写し、情報の交通網において匿名のデータ帯域として共有させる。そしてそれは、記号を意味という権力から解放し、事故という大きすぎる判断の一撃を、怪我という個別症例が発生する判断の過程へと拡散させる。こうしてそれは、彼の文学における逃走の試みの別分野での変奏といってよい。このある制限にとどめられていたものをその敷居の外へ解放する逃走プロセスは、彼の文学を貫いているものであるが、それはこの役人の抑圧的な言説の上でも同時に作用している。
これらのことをカフカの『役所文書』1907-1910年までの報告から分析する。

カフカ寓話集 (岩波文庫)

カフカ寓話集 (岩波文庫)


第2部(16時〜18時)

4 江口陽子(早大非常勤):カフカにおける「食」をめぐる試論――「書くこと」との関連において
カフカ作品には、「食」に関連する特異な情景や心理描写が観察され、いくつかの特徴に括られる。例えば『断食芸人』(1922年成立)をはじめ、『失踪者』(1912-14年)や『変身』(1912年)の主人公たちは、食欲および「食べようとする意志」を欠く。生活維持という「食」の機能が阻害されている。また『審判』の冒頭部分では、主人公の朝食が、彼に逮捕通告にやって来た「監視人」たちによって食べられてしまう。奪われる食物というモティーフは『失踪者』にも登場し、書かれなかった結末での主人公の生命の危機を暗示していると考えられる。さらに同作品の主人公は、強いられてやむを得ず、他人の食事の残りから朝食を拵えることになる。『城』(1922年)にも、主人公の元恋人が、他人の食べ残しを彼に与える場面がある。通常食物としては避けるものを提供する行為には、何らかの攻撃性が潜んでいると思われる。カフカ作品に登場する食事は、簡素で間に合わせのものが多い。そもそも食欲をそそるような料理はほとんど現れないか、現れても具体的な描写に乏しい。
こうした事例には、作者自身の「食」についての思考や感覚が色濃く反映している。手紙や日記には、自然療法に関心をもち、菜食主義的食事や当時流行の体操などを実践していた様子が記されている。しかしカフカは、自身の執筆活動を持続させるため、厳しい生活規律を自らに課していた。健康に配慮する一方で、睡眠を削り、食事の量も周囲が心配するほど少なかった。その他、家族を象徴する場である「食卓」に関連してネガティヴな言及も散見し、飲食をする人物への執拗な観察が内心の嫌悪感をともなって繰り返されている。特に『父への手紙』(1917年)には、カフカ自身における食欲喪失の原体験のようなものが読み取れる。
カフカの諸テクストにおける「食」にまつわる叙述を眺めると、一つ一つのテクストでは目立たない、通底する相が浮かび上がってくる。

変身・断食芸人 (岩波文庫)

変身・断食芸人 (岩波文庫)


5 杵渕博樹(宮崎大准教授):魔法の箱としてのマリー ――ギュンター・グラス『箱型カメラ』
最近のギュンター・グラスは『玉ねぎの皮をむきながら』(2006)以降、『箱型カメラ』(2008)、『グリムの言葉』(2010)と、三作続けて、自伝、あるいは自伝的要素を多分に含む作品を発表している。これらに対する反響もまた、その内容に即して、自伝的情報内容自体を巡るものが目立った。このような概観の構図自体が、『玉ねぎの皮をむきながら』のスキャンダラスな話題性の強さに引きずられた結果としての受容環境の歪みを反映しているとも言えるが、『箱型カメラ』と『グリムの言葉』の物語構造の、虚構としての典型性をも自伝としてのそれをも欠く独自性が、一般に読者を戸惑わせる大きな要因となっていることもまた容易に推測できる。『箱型カメラ』は「暗室の物語」なる副題を伴いつつ、グラスの子どもたちが、父親の希望に従って数度に渡って集合し、家族の思い出、あるいは自身の幼年時代から自立までの記憶を語り合うという枠組を持つが、そこでは歴史的事実に反する現在や未来、誰も目撃しなかったはずの過去と現在の情景が重なり合う画像を写し出す〈魔法のカメラ〉が、物語上の、あるいは語り手たちの記憶における事実として重要な役割を果たす。また、『グリムの言葉』は副題に「愛の宣言」とあるように、グリム兄弟への、その言葉へのグラスの主観的愛着の言明であると同時に、グリム兄弟の後半生を追う物語でもあり、さらにこの伝記的筋書にグラス自身の自伝的エピソードが内容的な親縁関係・連想関係によって導かれつつ重ねあわされる。通例のジャンルを意識的に超え出ようとする構造上の特徴は、これらの二作品においてはおそらくは第一に注目すべき点であろう。ただし、通常の意味での自伝としての枠組にある程度おさまる『玉ねぎの皮をむきながら』の続編としての条件を、それに続くこれら二作品が備えていることもまた事実である。このような状況を踏まえ、本発表では、過去へ分け入る作業としての『玉ねぎの皮をむきながら』と、グリム兄弟を媒体として謂わば過去を現代へと召喚しようとする『グリムの言葉』のあいだにあって、はかなく過ぎ去っていく、その都度の現在にだけ焦点を合わそうとするかのような『箱型カメラ』の物語構造に考察を加える。その際には、〈魔法のカメラ〉と一体化したかのような、物語構造上の起点でもあり、人物像としても特異でありながら、グラス作品の主要登場人物としては例外的に控えめな主人公(?)マリーの分析を、重要な手がかりとして援用したい。

箱型カメラ

箱型カメラ


6 山本浩司早大准教授):テロルと文学――ライナルト・ゲッツ『管理され』の場合
ドイツ赤軍派(RAF)によるテロルの嵐が吹き荒れた77年のいわゆる「ドイツの秋」に対して80年代の文学は沈黙したと言われるが、『ドイツの秋』三部作を書いたビューヒナ―賞作家デーリウスとともに、ゲッツ(『管理され』)はこの扱いにくいテーマに正面から取り組んだ。記録文学の系譜に連なるデーリウスのドキュメンタリータッチに対して、ポップと言語実験を融合させたゲッツは、21世紀になって『ウルーリケ・マリア・シュチュアート』を書いたエルフリーデ・イェリネクあたりの先駆けとも位置づけることができる。このほか、本発表では、革命的暴力の文脈でRAFに一貫した興味を示した東独のハイナー・ミュラーをも比較対象に取り込みつつ、ゲッツの文体レベルにまで浸透した「暴力」と「管理」の弁証法を手がかりに、彼の独自性を明らかにしてみたい。

Kontrolliert

Kontrolliert

文責:助手