早稲田ドイツ語学・文学会第18回研究発表会【2010年10月2日(土)】

早稲田ドイツ語学・文学会第18回研究発表会を下記の要領で開催いたします。皆様のご来場をこころよりお待ちしております。

日時:2010年10月2日(土)12時半〜
場所:早稲田大学戸山キャンパス 第3会議室(34号館2階)

研究発表会プログラム

第1部(12時半〜15時半)

1.「ハンス・ヘニー・ヤーン『ウグリノとイングラバーニエン』における内面の崩壊」

発表者:北村優太(早大文研修士課程在学)

特異なモチーフの頻出するハンス・ヘニ−・ヤーンの作品のうちでも、第一次大戦中亡命先で執筆の始められた小説『ウグリノとイングラバーニエン(Ugrino und Ingrabanien)』(1916年〜)は、記憶をごく短時間しか持っていることのできない人物の一人称によって書かれているという点にその独自性がある。今回の発表ではまず、小説のテクストが、時間を持続として把握することの不可能性をどのように映しだしているかを仔細にあとづける。また、そのように持続的な統一をうしない混乱した”ich”の内面のありかたと、彼がさまよう作品世界のありかた、さらに、未定稿の断片として遺稿の中から見つかったこの作品そのもののありかたとが、それぞれに相即していることを示す。

2.ヘルダーリンの「音調の交替」の理論について—脳神経科学からのアプローチ—

発表者:小野寺賢一(早大文学部助手)

神経科学者デートレフ・リンケによれば、認知、情動、感情の働きに関するヘルダーリンの洞察は、現代の脳神経科学によって獲得された見解を先取りするものであるという(Detlef Linke: Hölderlin als Hirnforscher. Frankfurt am Main 2005)。とりわけ示唆に富むのは、ヘルダーリンにとって詩的描出の対象であった「人間のもつ様々な能力の連関」についてのリンケの解釈である。彼によればこの「連関」とは、脳内における一つの認知処理プロセス全体のうちで、個々別々に観察可能な活動が織り成すネットワークのことを指すのだという。しかしリンケは、脳の各部位における活動の連関が詩作品においていかに描出されうるかについては、具体的に論じていない。

もちろん、ヘルダーリンが脳神経科学の専門的な知識を持ち合わせていたはずはなく、「諸能力」の意味も、まずは詩人自身が用いた術語によって理解する必要があるだろう。詩人の詩の理論「音調の交替」に即していえば、それは「知的直観」、「努力」、そして「感情」の三つの能力である。本発表では、まず、ヘルダーリンによるこれら三つの能力の定義を簡単に紹介し、次にこれらを脳神経科学者アントニオ・ダマシオの用いる諸概念へと置き換えて説明する。その上で、脳神経科学における感情と情動の理論を用いて、ヘルダーリンの「音調の交替」の理論を解釈する可能性を模索する。

3.フリードリヒ・シュレーゲルの古代模倣について

発表者:胡屋武志(早大非常勤)

ドレースデンでの古典古代研究の成果としてフリードリヒ・シュレーゲルが執筆した『ギリシア文学の研究について』(1795)の中の「美的革命」の構想にある美学的・歴史哲学的な発想は、のちの彼が打ち出すロマン主義文学理論の基本的な立場をすでに表わしており、同論は彼の思想全体の中でしばしば大きな地位を与えられている。しかし、「美的革命」の核心を形成している古代模倣の構想が十分な分析とともに主題的に論じられることはこれまでに奇妙なほど少なかった。

この古代模倣は、それまでの模倣詩学とは大きく異なった「模倣」の概念に基づく新しい古代模倣と呼べるものである。本発表ではこのような研究の隙間を埋めるべく、『研究論』における古代模倣の方法と「模倣」の概念についてあらためて考察したい。


第2部(16時〜19時)

4.ニコラス・ボルンのテクノロジー批判

発表者:杵渕博樹(早大非常勤)

ニコラス・ボルンのエッセイ「機械の世界」を中心に論じます。原子力発電所建設反対運動を支持しつつ、「機械」に依存する社会の原理的問題と、それに巻き込まれてゆく文学の危機について語る彼の論理の特性について考える予定です。

5.フランツ・ヴェルフェル、ヴェルディ小説まで

発表者:猪俣正廣(早大教授)

フランツ・ヴェルフェルの小説を初めて手にしたのは5・6年前のことだったが、最初はもっぱら中・短編を読んでおり、全集の中で嵩が張る長編小説や戯曲はそのうちたっぷり暇ができたらと考えていた。昨年度大学の在外研究で1年間テュービンゲンに滞在する機会を得たので、ようやくその念願をかなえることができ、かつて一時はトーマス・マンとも並び評されたこの人気小説作家の全体像が曲がりなりにも見渡せるようになったような気がする。本発表ではわが国で名のみ知られてあまり読まれなくなった彼の作品のうち、最初の長編小説『ヴェルディ オペラの小説』を完成するまでを扱い、ヴェルフェル入門としたい。カフカやブロートの友人でもあったこのユダヤ系作家が生まれ育ったのはいわずと知れたプラハであるが、20世紀初頭にある小説の中で「世界都市気どり」と書かれたその大都市と、在外研究中の昨年5月末にルーマニア北部の都市クルージナポカで国際ゲルマニスト会議が開催された折、それに参加するついでに訪れたパウル・ツェランの生まれたブコヴィナの都市チェルノヴィッツヨーゼフ・ロートの生まれたガリツィアの小都市ブロディについても若干触れる予定である。

6.「ある象徴的な植物」— ゲーテの「原植物」イメージの生成について —

発表者:大久保進早大教授) 

1794年7月20日から23日にかけてのシラーとの最初の語らいを伝えるゲーテの文章(『シラーとの出会い』)は、一つのあまりにも有名なエピソードを語っています。その時ゲーテは、「大きな関心」と「確かな理解力」をもって耳を傾けるシラーを相手に、「植物の変態」について滔々と弁じ、「ある象徴的な植物を彼の眼前に描き出して見せた」のですが、聞き終るとシラーはしかし率直に、「それは経験ではありません、理念です」と評した。ゲーテはこれに「当惑し、多少腹を立てもした」が、「私は自分でそれと気づかずに理念を持っていて、しかもそれを見たというのは、大変結構なことですね」と応酬した(、とゲーテは記しています)。そして、このことがあって以降、ゲーテは「原植物」の話題を避けて、もっぱら「植物の変態」について語るようになった、と事情通たちは述べています。

ここで私は、このエピソードを出発点として、ゲーテ自身が示唆しているようにも思われる道筋に沿って「カント学者」としてのシラーと「現実主義者」としてのゲーテの思考や感情の相違について論ずることも、また、「原植物」とは何かという問いに答えることも、「原植物」と「植物の変態」の論題の異同について議論することも、しません。しかし、それが「経験」なのか、それとも「理念」なのか、という問いには、やがて答えることになるでしょう。この発表は何よりも、ゲーテがまさに「見た」と言っている「原植物」(正確にはそのイメージと言うべきでしょうか)が、ゲーテにおいてどのように生成したのか/しえたのかという問題について、ゲーテのいくつかのテキストとスケッチを手掛かりとして、考えようとする試みです。誤解のないように付言すれば、これは、ゲーテの「原植物」の「理念」的な解明をではなく、ゲーテの「経験」としての「原植物」イメージの生成可能性の、いわば視覚心理学的な検討を目指すものです。

文責:助手